読書録゛ ‐ どくしょログ

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書評: 最貧困女子

 以下の記事を読み、どうしても読みたくなった本である。読む本のバックログがたくさん溜まっているが、これを優先して読まずにはいられなかった。読んだ結果、かなり重く心にこたえ、数日考えこんでしまうほどのものであったが・・。

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最貧困女子 (幻冬舎新書)

最貧困女子 (幻冬舎新書)

 

 本書を読み進めるうちに、著者自身もどう解決策を提示していいのかよくわからずに悩んでいることがよくわかる。あらゆる方面から最貧困女子の置かれている状況は、最も救いが必要にもかかわらず、救う最適解がどうしても思い浮かばないのである。「貧乏でも頑張れる人はいる」というレベルの話ではないことが本書を読めばよく理解できると思う。そして「貧乏」と「貧困」も本質的に異なるものだということもわかるはずである。巷に飛び交う、自己責任論がどれほど無責任論なことか、そして己の貧困に対する認識の甘さが本書からズバズバ指摘される。こういうのを文字から痛みを感じるというのだろうか。

 読み進めるうちに、ともすればフィクションでも読んでいるのかという錯覚に囚われるほど最貧困女子の置かれている状況はひどく、このまま手をこまねいているうちに進んで行けば、さらにひどくなっていくことは間違いない状況がそこにあることも容易に想像できてしまう。最貧困女子とその周辺に存在しない人間にとっては、「ここは本当に今の日本なのか」と一瞬疑いを持ってしまうだろうが、まぎれもなく日本での話なのだ。

 

 格差社会が進行していく中にあって、低所得層が飛躍的に拡大の一途をたどるのは、一般的な事実として知られている。それでも低所得の中で、仲間とやりくりしながらそれなりに充実した生活を送れるものも少なくない。家族や友人、地域とのつながりを失っていない彼らは、低所得であっても不幸ではない人生を楽しめている。だが、最貧困層はそのようなつながりからそもそも疎遠であるばかりでなく、育った環境が劣悪なことからまともな教育を受けられていないため、手続き書類などの少し「硬め」の文章などを理解することが困難なのだという。そうなると、社会的な支援を受けようにも受け方を知らない、理解できないという悪循環に陥る。

 話は少しそれるが、以前米国のラジオで貧困層に位置する女性のドキュメンタリー番組をやっていたのを聞いたことがある。その女性は教育がまともに受けられない背景を持ちかつ失業中であったが、番組の最後でどのような職業に就きたいかと問われた時、「座ったままの仕事がしたい」と回答していた。以前ついていた仕事が立ったまま行う仕事で、それが辛かったのか知る由もないが、少なくとも自分のありたい将来像が具体的に描けていないことは読み取れる。少し難解な文章が理解できないことや、自分の将来像が描けないというのは、教育の機会が奪われた恐るべき結果であると思う。

 OECDが興味深いレポート出しているが、格差社会は個人の教育機会において相関性があることを発表している。これはこのまま格差が進めば、劣悪な教育しか受けられない多くの貧困層を生み出し、社会支援が存在しても、その意味や存在すら理解困難な人たちを生み出していくことを示唆しているのだ。そのような状況に置かれた人たちに対し、「自己責任」から社会支援を受けていないのだ、と中途半端な教育と短絡的な思考力を持つ、最貧困より少しマシな生活をしている貧困層から叩かれて、社会の視界領域から消えていくことになる。そしてまともな教育を受けられる富裕層との間には、行き交うことも埋めることもできない深い溝も形成していく。

 格差の本質的に恐ろしいところは、教育の機会を劣悪にしていくことで、貧困層から基本的な人間性をも奪っていくところにある。少し前に富裕層に富を偏在させ、格差社会を礼賛する幼稚な文章を書いていた某有名ブロガーが話題になったが、本書を読めばそれがどれだけ無責任で、脳みそがカニ味噌程度しかないことがわかるだろう。

 

 本書はさらに最貧困層予備軍である少女たちの実態にも切り込む。彼女らの多くは虚弱であり、治療費が生活を圧迫する状態であるにも関わらず、病院の世話になるケースが多いという。栄養状態もよくなく、偏食も激しい。つまりは自己管理ができていないのである。それというのも親の愛情を十分に受けておらず、自己管理というものがどういうものなのかわからないからである。親からの褒め、叱られ、小言などというものは愛情から発露しているものであり、それに浴することで初めて自己管理能力が形成されていくのがよく理解できる。

 家庭、教育、社会から連鎖的に見放されていくことで貧困層は形成されていく。だが本書が指摘するのは、さらに最貧困へと「3つの障害」- 精神障害、発達障害、知的障害 - が悪循環に拍車をかける。

 人間関係を形成するにあたって、余裕や認識力が十分にある状態においては寛容にもなれるが、貧困層にある状態で「3つの障害」に寛容になれるケースは決して多くはないと想像する。貧困層からも拒絶された彼女たちの残された道は「孤独」になることだという。家族や社会からは言うまでもなく、最も近いと思われる仲間たちからも差別と無理解の対象とされる彼女たちにどう生きていけというのだろうか。

 ここに著者の言葉を引用しよう。

ここに自己責任論など、絶対にさしはさむ余地はない。なぜなら彼女たちは、その「自己」というのが既に壊れ、壊されてしまっているからだ。

 

 本書の終わりの方では解決策とは言えないが、現状を踏まえた幾分マシにはなるかもしれない解決策が提示されている。だが、正直言って筆者にはこれでいいのか判断がつかない。他のブログでもいろいろ解決案は提示されているが、やはりどれも腑に落ちない。一つ言えるのはたいへん困難な難問であり、このまま進めば必ず悪化の一途を辿るということだ。少ない知恵でも絞って考え続け、問題の埋没化は避けなければならない。