読書録゛ ‐ どくしょログ

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書評: 十二年目の映像

  久々の書評更新になる。最後の更新からかなりの月日が立ってしまった。本を読んでなかったわけではないが、書き出すきっかけを失い続けていた。今年は短くても読んだ本については書いていきたい。

十二年目の映像 (集英社文庫)

十二年目の映像 (集英社文庫)

 

 某男性アイドルグループが解散するとかしないとかで、誰によく謝っているのかよくわからない(あるいは暗黙的に理解させている)謝罪会見が話題になっているが、同時に芸能・テレビ業界の「体質」が改めて浮き彫りになってきている。このようなブラック臭漂う業界は今に始まったことではないが、21世紀の現在にあってもまだこんな暗愚なことが続いているのかと思うと、裏でシナリオを操っている人以外は、誰でも多少なりともげんなりすることだろう。

 今回紹介する小説にもこのような「業界の裏事情」の要素が多く含まれている。ただこの小説が書かれたのは1986年であり、かなりカビの生えた裏事情かと思いきや今回の謝罪会見を見る限り、たぶんまだ現役の商慣習なのだろう。事実は小説よりも奇なり。

 

 余談であるが、テレビ業界の裏事情を描いた作品では、「電波の城」が生々しく業界を表現しており、すごく面白い。こうした作品こそぜひアニメ・ドラマ化して欲しいが、おそらくテレビ業界にとって都合の悪いことがてんこ盛りなので、絶対にやらないだろう。機会があればこの書評も書いていきたい。

電波の城(1) (ビッグコミックス)

電波の城(1) (ビッグコミックス)

 

 

 話を戻そう。この小説には当時の学生運動の様も織り込みながら話が描かれる。今では昔の映像でしか語られないもので、遠い昔の出来事のように思われるが、これもまた人によってはさまざまな「都合」があったことは推察できる。闘争と逃走が今に至っても続いている人は存在するのではないだろうか。都合の悪いことにフタをしようとする習慣は当時も今も変わりはなく、その意味に置いてこの小説は今読んでも色褪せないものだと思う。

 ただ、主人公の年齢設定が20代後半であるが、かなり大人びて感じる。今の20代と比べてしまうからだろうか。当時の20代は成熟していたということなのか、今の20代が幼稚なのか、あるいはその両方なのか。人の生活や考え方や成熟度が時代によって異なっていても、社会構造が変化しないのは何かの悪い冗談なのだろうかと、この本を読みながら考える。