読書録゛ ‐ どくしょログ

触れた、読んだ、書いた

働き方の違い(と本レビュー)

 Kindle版も出版されたとのことだったので読んでみました。

脱社畜の働き方?会社に人生を支配されない34の思考法

脱社畜の働き方?会社に人生を支配されない34の思考法

 

 

海外で働いていると、現地スタッフの働き方に驚くことが多い。

  • 定時に会社を出る
  • 仕事が終わってなくとも帰る
  • 良くも悪くも自己弁護に長けている

日本で働いていた時との大きな違いにはじめは戸惑った。
日本ではトラブルや仕事が終わらない時は会社に泊まり込むことも少なくなかった。納期は絶対で、こちらの都合により変更することなどは言語道断とされており、それを新人のときから叩き込まれる。先輩の仕事が忙しそうであれば「何か手伝うことはありませんか?」は帰る前の決まり文句となっていた。有給休暇はチームメンバーと調整した上で、業務に支障のないよう取るのが常識で、周囲の空気を読みながら申請していたのを覚えている。特段これらの習慣に疑問を持つことなく、日本の会社員としてのんべんだらりとこれらを続けて過ごした。

海外で働きだしてからは、それらの常識に疑問符を突きつけられた。根本から異なる習慣の中で働くようになった、というわけでもなく、会社の中には日本人もいるので「二つの文化が併存している状況で働いていくことが必要になった」という表現のほうが正確かもしれない。

これはとても奇妙な環境で、日本人の中でも日本風な仕事のやり方(社畜的なやり方)を強く守る人もいれば、「郷に入っては郷に従え」と、かなり現地スタッフ寄りの働き方をする人もいる。反対に現地スタッフの中にも、夜遅くの呼び出しに苦労を厭わない方も、とても少ないが、中には理解を示す人もいる。

こうした状況下にあると往々にして日本人スタッフは、現地スタッフの作業をどうしても引き受けなくてはならない場面に遭遇する。会社滞在時間の長いことが多い日本人スタッフは、それだけ仕事において不測の事態に遭遇する率も高まる。会社滞在時間が長いことによる「不測事態の自己生成」をしている面も否めないが、現地スタッフの「尻拭い」をしているという想いは少なからず持ち合わせている人も多いと思う。

ただ、こうした「尻拭い」作業を快く思っていなくとも根本原因を詰め、解決に向けて動こうとしている日本人は少ないように見える。

  • 「あいつら(現地スタッフ)は言ってもどうせやらない」
  • 「言うのが(しかも英語で)めんどくさい」
  • 「こうしたきめ細かいサポートこそ日本人の行うべきところ」

諦観と煩わしさ、そして社畜的とも言えるタスクに「日本的美意識」を持ち出す方たちも中には存在する。そしてこの循環が回り始めると現地スタッフにも悪影響を及ぼす。

現地スタッフはこうした尻拭い的作業を放置していても特に文句を言われるわけではないので、仕事の質がみるみる下がっていく。彼らにとって仕事とは別に人生を捧げるものではない。人生を捧げる対象は仕事とは別のところで持っているのが普通であり、優先度としてはむしろ低い部類に入るのだろう。なので基本、尻を拭ってもらえるのであれば喜んで拭いてもらう。少ない作業量で同等の金額を稼げるのであれば、そちらを選択するのに似ている。
また自分に責任が及ばないよう、さまざまな工夫も行う。論理的な言い訳の準備や証拠が残る/残らない方法を使い分けるなど、とにかく自分の評価が下がらないよう工夫する。これも「素直に非を認める」のを美徳としている日本人と大きく異なる意識だと思う。

こう書くと現地スタッフは狡猾なキツネかタヌキのように聞こえるかもしれないが、別の見方をすれば自分の身を守る術をよく心得ているとも捉えることもできると思う。ちなみに皆人当たりはものすごくいい。挨拶もしっかりするし、冗談も言い合い、話していて楽しい。
搾取されないよう行動するというのは、おそらくこれぐらいしないと本当はいけないのかもしれない。

長年、社畜根性に染まってしまっている私には現地スタッフのやり方を一朝一夕にマネできるわけがない。この本に書かれていることも頭では理解できても、すぐに実践できる自信はない。だが「海外で働く」という環境下にあって、自分の働き方に多くの疑問が去来したのは事実である。日本であっても自分の働き方に対する「疑問」を確固たるものとして感じたければ、この一冊は大いに価値がある。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。 

 マザー・テレサの言葉を引用したが、思考に至る前段階は「疑問」にあると思う。まだスタートラインにも立っていないかもしれないが、少しずつ「気をつけていきたい」。