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書評: イノベーションのジレンマ - 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)

イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press)

 

これを読むと日本にある古くからの大手企業で「破壊的イノベーション」を起こすことは、かなり難しいのではないかと思えてくる。

日本においては「持続的イノベーション」は今も行われ、おそらく今後も行われていくだろう。これが続いている限りにおいては致命的な損失を被ることは少ない。確固としたプロセスとそれを適宜改変していくことで、時代要求のほとんどに応えていくことは可能だと思う。いわばレールの上に乗ったイノベーションで、「前例」に則って伸びていくことに関しては日本企業のお得意とするところだろう。破壊的イノベーションが生じた後、その製品やサービスは持続的イノベーションに移行するが、そこでの伸びしろで稼いでいくのも得意とするところだと思う。この先十数年はこの「芸風」でもなんとか生き残ることは可能と思うが、その先はどうなるのだろうか。

持続的イノベーションはいわば、「ひな形」の一種ではないか。そのひな形に沿った形で行なっている限りにおいては失敗も少ない。だが、同時に面白みも少ない。
日本においての仕事観はどちらかといえば、苦しみから生じる達成に重点をおいた価値観であると考えている。米国においては基本的に楽しみから生じる達成を求める傾向にあると思う。なので苦しみが大きい仕事であるならば、その分の「上乗せ給料」を請求する人は多い。

「達成」という意味において結果は同じであるが、その過程において取り組む姿勢が異なる。どちらが良い悪いという事はない。ただ、どうしても楽しめる環境にある方が破壊的イノベーションは起こしやすいように思えてならない。

苦しみから生じる負の感情を芸術的な領域にまで昇華させた偉人は少なくないが、それは誰しもができるものではない。強力な自制心と忘我するほどの集中力を同時に持ち合わせる人が成せる技なのだ。多くの人は酒や娯楽、良くて軽めのスポーツなどの外的要因に逃げるのが自然だと思う。

翻って楽しみから生じる感情は大多数の人が持ち合わせ、特別な才能や訓練を多く必要としない。類似した仕事でも楽しみながら行うのと、苦しみながら行うのとでは時間の経ち方からして異なることを経験した人は少なくないはずだ。

404 Blog Not Found:勉強したら負けだと思っている

一つ確かな事は、勉強しないと学習できぬ者は、楽しんで学習できる者には逆立ちしてもかなわないということ

上記で述べられている「楽習力」の違いが破壊的イノベーションを起こせるか否かの違いにつながってくるのではないかと強く思う。なぜなら「楽習力」を発揮できる者のほうが、苦しみから生じる「学習力」を発揮できる者よりも母数としてはるかに多いはずだからである。そして残念ながら楽習力を推奨する空気は、現代日本においてはまだ非常に薄いと感じる。

破壊的イノベーションの頻度がこれから先、どの程度になるのかは予想はつかない。しかし情報の品質、量、そして伝わる速さは20年前と比べたら格段に向上している。この傾向から類推するに破壊的イノベーションの起こる頻度も年々多くなるのではないかと思う。それが「ただしニホン以外に限る」などとならないことを想う、今日この頃である。