読書録゛ ‐ どくしょログ

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書評: 日本人へ 危機からの脱出篇

自分の悪い癖なのかもしれないが、本は並行して何冊も読むことがある。この間まで、3冊ほど並行読みをしていたが、どういうわけか読み終わるもの同時期になることになった。たぶん続けてレビューになることをご容赦いただきたい。

日本人へ 危機からの脱出篇

日本人へ 危機からの脱出篇

 

塩野七生氏の本は「ローマ人の物語」シリーズを読んで以来、とても好きだ。本来は「ローマ人の物語」の書評を先に書くのが順序だろうが、もう一度読み返した上で後日ゆっくり書きたいと思う。内容が深く、かつ長編な本ゆえ、自分の中でいい形で考えがまとまった上で書いていきたい。

さて、この「日本人へ・・」 という本、塩野氏の随筆形式で時系列に短編がまとめられている。一つ一つ順番に読むもよし、途中から読み進めるのでも構わないだろう。どれを取ってもエスプリが含まれており、よく考えさせられる内容になっている。その中でも印象に残ったものを紹介したい。

筆者は順番に読み進めたが、最初から小笑いを禁じ得ない。『「スミマセン」全廃のすすめ』という章であったが、日本人がよく謝ることを叱っている。これには大変同感できた。以前、一緒に仕事をした日本人で、メールの内容に英文でも「Sorry」を連発する人がいた。英文で深い意味もなく「Sorry」や「Apology」を書いてくることは、稀なので受け取った現地スタッフはさぞかし困惑したと思う。「そんな些細なことで日本人は謝罪をするのか」、「特段悪いことをしたわけでもないのに謝るのか」と。まだこのように受け取ってくれれば良心的である。悪意的に受け取る者がいたとすれば、「おまえはあの時、自分が悪いと認識して謝罪した」ことを盾に「賠償」を請求する者も中にはいるので、軽い気持ちでの「スミマセン」は注意が必要である。「これにて一見落着にしたい」気持ちから「スミマセン」を連発する多くの日本人は、異国ではカモにされる覚悟が必要だ。甘えた謝りで一見落着になることなど、実はほとんどないのが現実ではないだろうか。

 

他にも英語を主要語として経営を進める、とある2社について批判的に書いている。そのうちの1社についてはこのブログでもたびたび「ブラック」として批判してきたが、この「英語経営」についてもこの本に筆者は同感である。母国語とはそれで考えながら想像力を喚起する言語であるということだ。おそらくこのブログを英語で記載したら、伝えられることは半分かそれ以下になるとほぼ確信している。

そして言語の切り替えスイッチというのは脳内に確かに存在する。別に医学的に証明できるものでもないだろうが、頭の中で日本語と英語に切り替えていることは肌感覚でわかるものなのである。これは不思議なもので、言語と同時に気持ちまで少なからず切り替わるのだからなかなかややこしいのである。異国に来た当初は、このスイッチの切り替えだけで、心身ともに激しい疲労感に襲われた。一度、電話越しではあったが同時通訳を行うはめになり、これは疲労感などという生易しいものではなかった。世界の通訳さんたちの心労をほんの少し察することができたが、二度とやりたいとは思わない。

「英語経営」など行ったら、ほとんどの社員は言語スイッチ切り替えだけで疲労してしまい、創造的な仕事などできないに違いない。たとえ慣れてきたにしても、社会人になるのは大人になってからなので、子どものような脳の柔らかさを望むことには無理がある。これを推し進めれば、おそらく「グローバル企業」を実現するより前に、日本人がいなくなっている企業の実現のほうが早いのではないだろうか。

それはそれで別に構わないのだが、特に日本人の経営者の皆さん、あなた方自身も近い将来「いなくなる」覚悟があった上でやっていることなのでしょうね。日本人経営者しかいないのにグローバル化を叫ぶこの会社には特に問いたいものだ。

 

話が少々それてしまったが、この本は「外から見た日本」のエッセンスがとても上手にまとめられている。日本国内/異国在住者ともにぜひ手に取り、少しでもよいので一読をおすすめしたい本である。