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書評: ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

ブログの更新に間が空いてしまったが、今回は書評を書きたい。ドラッカーの未来予測というか、これからの産業や社会のあり方について述べている本である。

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

 

ドラッカーの本は「マネジメント」などの有名どころを先に読むべきなのかも知れないが、残念ながらまだ読んだことはない。しかし、この本の内容の先見性には驚かされる。この本が出版された頃に、ここまで上手に予測しているのはさすがと言わざるを得ない。 

 

筆者が気に留めた一部分に、知識労働者について言及している部分があった。仕事に対する意欲の源泉はお金以外のところにあると述べられているが、まさしくそのとおりだと思う。彼らに必要なのは、「楽習力」としてスキルを磨いていける場所なのだろう。

筆者が新人の頃に習った言葉に「給料(仕事の対価)は我慢料」というものがあったが、もうこの言葉を卒業する時代に突入しているのではないかと思う。確かに職場において我慢を必要とする場面は多くあるし、そのすべてを否定するつもりは毛頭ない。しかし、あまりに頻繁に我慢を強いられる場面が多いような職場は、今後時代にそぐわなくなるのではないだろうか。企業との利害が一致する範囲で、自分の時間を仕事に割り当てる許容範囲は自らが主体となって決めていくことが求められる。そして、何より自分自身が楽しめることが重要になると思う。これは「やりがい」とは少し異なる考え方だ。

「やりがい」においては苦行のように乗り越えていくことを求められる場面が非常に多い。乗り越えた末に成長があるような錯覚を強いられることも少なくない。数千件におよぶデータ手入力をマクロを使わずに行うことで「評価される」企業もまだ多く存在しているのではないか。何時間もその作業を「頑張った」とされるのだ。確かにやり終えた時の達成感はあるかもしれない。しかしその生産性は著しく低く、またやりたいかと問われれば、笑顔で「はい」と答えられる人はどれほどいるだろうか。もし、多くの社員がそのような作業を「はい」と答えているのであれば、どちらかというと「ブラック」を疑ったほうがいい。

楽しみながらできる環境では、作業の効率化も楽しみの一環として組み込むことが可能だ。苦行的な要素を極力省いた形で評価をしていけば、生産性も伸ばすことが期待できる。ポイントとなるのは、その個々人にとって何が「楽しいか」と感じられるかを的確に見抜いていく力で、マネジメント層にとっては簡単な作業ではないだろう。

ただ、注意しなければならないのは、意欲の源泉はお金以外のところにあるが、行った仕事に対する評価は「お金以外のところ」にあるとは限らないと思う。「楽しい」が動機と意欲であっても、その仕事成果が大きければ、それに相応しい見返りを与えていけなければ、やはり立ち行かなくなる。ブラック企業の経営者には、こうした視点も大きく欠けているのが特徴の一つだと思う。

 

この本のほんの一部分について筆者の考えを展開してみたが、かなり長くなってしまった。これ以外にも思う部分はたくさんあるが、ここに書いていくには少々長くなりすぎる。おそらくこの本の中身が非常に濃密なので、単純な書評には向かないのかも知れない。実際、読みながらいろいろな考えや想いが去来し、自分の中に定着させるにはまだ時間を必要としている。一度ならず、二度三度読んではじめて自分の血肉となる本なのだ。