読書録゛ ‐ どくしょログ

触れた、読んだ、書いた

書評: ワイルド・ソウル

前回に続いてまた書評である。

日本政府に見捨てられたブラジル移民たちの復讐劇。フィクション、ノンフィクションが半々で混じっている感じの小説。

ワイルド・ソウル〈上〉 (新潮文庫)

ワイルド・ソウル〈上〉 (新潮文庫)

 

 

ワイルド・ソウル〈下〉 (新潮文庫)

ワイルド・ソウル〈下〉 (新潮文庫)

 

話の展開にスピード感があってとてもおもしろい。読んでいて睡眠時間が減るのは約束できる。

1960年代のブラジル移民政策から始まり、その凄まじい悲惨と日本政府の詐欺とも言える政策には涙と憤りなしには読めない本である。はじめの100ページほどはその苦労の地獄絵図が続く。読者の感情を大いに煽った後で、日系ブラジル移民たちの復讐劇はさらに暗さが伴うのかと思えば、そうではなく、どちらかといえば爽快な気分が味わえる。最終的には勧善懲悪に近い物語構成で、はじめの悲惨さから勢いよく駆け上がっていくことで最後には晴れた気分が味わえる。

 

この小説を読みながら、以前騒ぎとなったイラク日本人人質事件 - Wikipediaを思い出した。この事件と当小説を一緒に考えるのは見識を見誤る可能性はあるが、それでもふと考えてしまう。一般的に日本人は国外に出た人間に対して冷酷なのではないかと。

この事件では「自己責任論」というのが囃し立てられた。イラクは危険地域と知りながら出かけた方が悪いと。税金を投じてまで助ける価値のある日本人たちなのかと。我が身の危険を顧みず、ボランティアとして活動した人に対してこうした仕打ちはないだろうと筆者は常々思っていた。

繰り返すが、この小説とイラクの人質事件とでは文脈が大きく異なるので、問題を一緒くたにするのは危険であるとは思う。ただ日本人の根底にある、コゲのように定着した想いの一部に、外に出た人間ことは知らぬ存ぜぬの態度を取る傾向にあるのではないだろうか。村の外に出た人間のことは知らないといった村民根性のような諦念が。

棄民政策のような残虐行為が行えるのは、戦後の背景があったにせよ、自分たちの視界に入らないものは知らぬ存ぜぬを押し通せる土壌があったからではないだろうか。この土壌は21世紀に入ってもまだ当然のごとく生きているし、筆者の肌感覚ではさらに活性化している気もする。つまるところ、どこかで「棄民」は常に行われているのである。少し周りを見渡せば、別に国外に限ったことではない話だ。直近の例ではおそらく福島原発の事故が該当するのではないだろうか。東京オリンピック招致における対比としてみるとわかりやすい。

人を人として扱わない国は、どんなに経済発展していても、結局のところは蛮族国家である。つぶさに見れば蛮族国家でない国は存在しないかも知れないが、程度の差はある。日本国の蛮族度合いはいか程で?