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書評: ハーモニー

先日、書評した「虐殺器官」の続編に当たる小説。「虐殺器官」を読まなくても物語として面白いと思うが、読んでおいたほうがより深みが増すのは間違いない。

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

 

前回の 「虐殺器官」から、虐殺を惹起するような言語中枢や言語体系といったものが存在するのか、その可能性についての妄想がまだ筆者の中で漂っている。今のところ至った結論として、ないとは言い切れないということだ。現代の戦争において、「正義」や「民主化」といったキーワードは、ほぼどの戦いにおいても登場する。これらは善意と清潔感のある、抽象的なキーワードで世の中にとても浸透しやすい。これらが善意の下に連呼される場所において、大規模な衝突と虐殺は起きやすいのではないだろうか。

ただし、現実には言語単独で起因する虐殺は考えにくい。社会的背景として貧困や差別、腐敗などの下地があり、その上に特定の言語が上乗せされることによって虐殺の行われやすい空気が醸しだされていくのだろう。複合的な要因とその発生順序をつぶさに調べていけば、虐殺が発生する仕組みをいつの日か理解できるかもしれない。理解ができれば止める術もまたあるということである。

 

前置きが長くなってしまったが、この「ハーモニー」ではその虐殺を止める術を、ある意味発見した人類の物語である。意識というものがどのような仕組みで成立し、どのように制御していくかが理解されている社会である。人々の健康維持と管理が最重要項目として取り扱われる、究極の管理社会である。意識という葛藤が存在するから社会的な不均衡が起きるとこの本の副主人公(?)は言う。そして人間から意識を取り去るべく、行動を起こしていく。

意識のない社会とはどういうものか。ここでまたいろいろと妄想が膨らむ。この本の著者は、前作でもそうであったが、妄想を掻き立てるのがうまいというしかない。

筆者の思うに意識が失われた社会というのは、おそらく存在可能だ。アリの社会を思い浮かべるといい。アリに意識が有るのか否かは不明だが、意識というものが人と比べて極めて希薄であることは想像できる。ほとんどの行為が合理性に基づいたムダのない動きで社会は営まれていく。個は社会存続のために存在する大前提のもと、迷いや逡巡などが起きることはない理路整然とした社会。面白味など皆無な社会、いやそもそも「面白味」の定義すらない社会。調和(ハーモニー)のとれた社会。

だが、ハーモニーな社会にあっても争いはなくならないだろう。アリの社会がそうであるように。意識の有る無しが社会均衡や衝突に、長い目で見ると影響を与えるとはあまり考えられないる。とはいえ、これはSF小説である。ここまで言及するのも無粋だろう。

「虐殺器官」を読まれた方は「ハーモニー」も読むことを強く薦めたい。筆者はこの二冊を読んだあと、しばらく妄想に浸っていたい気分になった。他の本を読んでも内容が頭に入ってこなくなる、文句なしに面白いSF小説である。