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書評: 虐殺器官

ここ最近読んだSF小説の中では間違いなく秀逸な作品。作者が他界していることが本当に惜しまれる。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

ノーム・チョムスキーという人をご存知だろうか。 言語学の分野ではとても有名な人で、人は言語獲得機能を生得的に備えているという説を世に発表し、一時期はかなり学者たちの間で話題になった。この小説の中にも少しだけ(一箇所だけだったと思う)ノーム・チョムスキーの名前が登場するが、おそらく本の核となる内容は彼の考えに強く影響されたものだと思う。

一部ネタバレになってしまうが、ある言語の関連性から虐殺が惹起されるというアイディアはいろいろと考えさせられる。もういつのどこのことか忘れてしまったが、イスラム系住民がある日突然、キリスト系住民を殺害し始めるという悲惨なドキュメンタリー番組を見たことがある。昨日まで仲良く暮らしていた隣人がいきなり襲いかかってきたという証言などもあり、かなりショッキングな事件であったことは記憶している。この時、インタビューに応じていたイスラム系住民の代表の目が血走っており、明らかに正気を欠いていた。その目は恐ろしく、何年も経った今でもよく覚えている。

イスラムを悪く書いているつもりは全くない。キリスト教においても十字軍の遠征など、狂気の戦を幾度となく繰り返しており、虐殺の量からすればどちらが多いのかなど比べるだけ無駄だ。一つ言えるのはあらゆる宗教は、明らかに人の思考形態を通常状態から変えるものを何かしら持っており、それが歴史の様々な側面で利用されてきたことも否めない。宗教にある人を魅了して止まないものは何なのか。人間の脳深く生得的に存在する抗い難いものがそこにはあり、それは言語中枢と密接な関係性にあるのではないか。

かつてイスラムではコーランの内容をつぶさに調べた人たちがいたようである。一字一句の登場回数を調べあげており、それを分析した。それが暗号解読手法の一つである頻度分析につながったのだ。

以下は筆者の勝手な想像であるが、人々の思考や心理に影響を及ぼす単語も分析され、統治の道具や手法として用いられていたとしたらどうであろうか?そもそもキリストやムハンマドといった宗教の開祖たちは、こうした「統治の言語」を使用することに長けていた人たちだったのではないか?統治の言語があるならば、騒乱を惹起する言語もあるのではないか?そして騒乱言語が経典の内部に普段は目立たぬよう散りばめられていたとしたら?・・・・妄想は果てしなく膨らんでいく。

この小説にハッピーエンドは望めない。至って暗い気分のまま終わりを告げる。だが、作者の筆力、表現力は圧巻であり、最後まで言語中枢をフル活用して読み込める小説であることは保証したい。