読書録゛ ‐ どくしょログ

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書評: The Indifference Engine

 最近、この人の本にハマってしまっている。

The Indifference Engine

The Indifference Engine

 

前読んだ「虐殺器官」、「ハーモニー」の二冊とは違い、こちらは短編集となっている。著者が夭折したため、未完になっている作品も掲載されているが、彼のエッセンスはしっかりこの本にも根付いている。

著者は工作員やスパイものを生前好んだことが想像できる。この本にはジェームス・ボンドをモチーフにしたであろう物語が随所に登場する。それと同時に人間の意識についても深い興味と知識を持っていたことが窺える。この二つの興味を絶妙のバランスで混合し、物語を進めていく。それに重ねて、著者の筆力もすばらしい。どうしたらこのような書き方ができるのか、ぜひともコツを教えてもらいものだ。

そんなことを思いながら読み進めていくと、いちいち脳裏に言葉が張り付いていく。

歴史があるから戦争が起こるんじゃないぞ。戦争を起こすために歴史が必要なんだ。 - The Indifference Engine より

歴史は過去からほじくり返されるもの。過ぎ去った時間など本当のところは誰もわからない。所詮、残っている「証拠」から辻褄が合うように今を生きる人間が想像し、作り上げているだけなのだ。作り上げているのが人間である限り、その解釈はどのようにでも都合よく頭に収めてしまうこともできる。結局のところ争いを起こすために歴史は必要であり、平和を望むためにも歴史は外せないものなのだろう。歴史は過去から続くものだけでなく、それを理解する側の判断力量によって更新される運命にある。

愛が最終的に行き着く先、愛の究極とは、相手の痕跡を自身の生活に刻むこと。 - From the Nothing, With Love. より

相手に対する想いと時間の量が多ければ多いほど愛は刻み込まれる。気の遠くなる時間を少しずつ、鍾乳石に滴る水のように、一滴々々、炭酸カルシウムと不純物を積み重ねていくように。別に対象はここになくとも、現在でなくとも、人間でなくともいいのだと思う。どれだけ相手を採用し、自分の時間として取り込めるかが問題なのだ。

 

短編なので一つ一つの物語としては短い。未完のものもいくつかある。だが、どの物語にも、とあるフレーズが脳裏から離れなくなる場面を持つ。どこか物足りなさを持ちつつ、満足感も同時に得られるという奇妙な表裏性をあわせ持つ短篇集だ。伊藤計劃の文体に取り憑かれた人ならぜひ読んでおくべき本である。