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書評: 黒い家

 「新世界より」を読んで以来、 この人の本を読むようになった。  

黒い家 (角川ホラー文庫)

黒い家 (角川ホラー文庫)

 

 以前読んだ「新世界より」はかなりハマったSF小説だった。一千年後の日本が舞台になっているが、日本の昔ながらのレトロな感じと未来感が見事に融合し、その落差が恐怖心と好奇心の両方をくすぐる見事な小説である。あの期待感そのままにこの著者の本を読むことが多いが、この本を含め、残念ながら今のところ「新世界より」を超える作品は出ていないと筆者は思っている。

 そうはいっても「黒い家」は現実社会の恐怖をえぐり出しているという点においては卓越している。保険会社の仕事がどういうもので、どのような問題があるのか、フィクションでありながらも綿密な調査を行ったに違いない。実際、人間の所業とは思えないモンスター保険加入者も多いのだと思う。

 そうした人たちが暴走した場合、どのような過程を辿るのか、ホラーとして仕立てた場合どのようになるのか、著者の懸命な想像が行われたことが窺える。惜しむらくは、危機的状況下では取らないであろう行動が主人公に見受けられる点が多少違和感ある。が、怖さを掻き立てるためのスパイスとして楽しむ程度に捉えておくのがいいだろう。

 

 生命保険というと思い出すのが、筆者が会社に勤めるようになって一、二年目の頃である。その当時はセールスの生保レディーが会社まで来て、生命保険への加入を勧められた。当時は加入するイメージが全くなく、何がうれしいのかさっぱりだった。しつこくやり取りをセールスとした挙句、全然ハンコを押さなかったので、「生命保険加入は社会人としての常識ですから」とまで嫌みを言われ、それならとさらに加入する気をなくした。

 しかし、周りの先輩などの話を聞いてみると、保険のセールスに対していろいろな「注文」をぶつけているのである。加入するから、やれコンパを企画してくれだの、扇風機も買ってくれだの、セールスの仕事とはかけ離れた無茶なことを涼しい顔で「注文」をしていた。セールス側もそういう客がいることは織り込み済みなのか、かなりの割合で「注文」に応えていたようだ。仕事のために仕事とはかけ離れたことまでしなくてはいけない営業方法に違和感を感じながら、「社会人とはこんなものなのかなぁ」と思いながら眺めていた。

 時は流れ、ネットでも加入できる保険などが登場している現在においても当時の営業方法は取られているのだろうか。フィナンシャルプランナーから適切(かどうかは疑わしいが)な複数社の保険組み合わせでの加入も紹介されている今では、生保レディーたちの生き残りは厳しくなっているはずだ。保険の販売方法という側面においては当時と大きく変わったのではなかろうか。

 閑話休題。この本の話に戻そう。

 この本の中で印象に残った文を引用しておきたい。

生命保険とは、統計的思考を父に相互扶助の思想を母として生まれた、人生のリスクを減殺するためのシステムである。 断じて、人間の首にかけられた懸賞金などではないのだ。

物事やシステムには正と負の二面性が必ず存在するが、負の側面の多くが顔を出し始めた時にそのシステムは崩壊は進む。どんなシステムでもいずれは崩壊を免れることはできないが、少しでも長く活かすには不断のメンテナンスが必要不可欠である。大多数が捨てたいと思っているシステムでも、次に代替するに相応しいシステムがない状態では、それに頼るほかはないのだ。不平不満が多くても、モラルハザードによりその価値が崩壊しつつあっても、長続きしているシステムは、とやかく言われようとも、社会に適合しているシステムなのだと思う。

 この小説はいまから約17年前に書かれたものだが、未だ生命保険というシステムの価値自体は健在だ。ただし、その周辺では崩壊や再編成が多々行われているように見える。モラルハザードが進む中にあっても、ホラー小説の題材にされても、生命保険というシステムは衣装を変えながら図太く生きているようである。